コレクション: 小石原焼とは
発祥と初期の歴史
小石原焼は福岡県東峰村小石原地区で作られる陶器で、その起源は江戸時代に遡ります。1669年、高取焼の初代陶工である高取八蔵の孫、八之丞が小石原地区中野で良質な陶土を見つけ、中野皿山に窯を開いたことが始まりです。これが現在の小石原焼の前身であり、初期の頃は「中野焼」とも呼ばれていました。
1682年、筑前福岡藩の3代目藩主である黒田光之が伊万里から陶工を招き、中国風の磁器の製法を伝えました。これにより、小石原地区の窯元との交流が生まれ、現代に続く小石原焼の基盤が形成されました。当初はすり鉢やとっくりなどの日常使いの雑器が主に作られていましたが、江戸時代中期には黄土色の釉薬を用いた製品などが作られるようになりました。
明治から昭和初期
明治から昭和初期にかけて、小石原焼は村全体で共同の登り窯を用いて、大型の鉢や皿、甕、すり鉢などの製作が行われました。この時期には、1929年にバーナード・リーチや柳宗悦、濱田庄司らが小石原村を訪れ、小石原焼を絶賛したことで、民藝運動の影響を受け、広く認知されるようになりました。この運動により、小石原焼の人気が高まり、多くの人々が村を訪れるようになりました。
近代から現代
1958年、小石原焼はベルギーのブリュッセルで開催された万国博覧会で最高賞を受賞し、国際的にも評価されました。1975年には、陶磁器としては日本で初めて国の伝統的工芸品に指定されました。これにより、小石原焼は日本国内外で広く知られるようになり、その評価を確立しました。
現在、小石原地区には50軒以上の窯元が存在し、伝統的な技法を守りながらも現代的なデザインを取り入れた多様な作品が制作されています。代表的な技法には、飛び鉋や刷毛目、流し掛けなどがあり、実用性と素朴な美しさを兼ね備えた「用の美」が特徴です。これらの技法により、小石原焼は軽くて丈夫な日常使いの器として親しまれています。
祭りとイベント
小石原焼の魅力を広めるために、毎年5月と10月に「民陶祭」が開催されます。この祭りでは、新作の展示販売や陶器の体験イベントが行われ、多くの陶器ファンが訪れます。祭りの期間中は、通常よりもお手頃な価格で陶器を購入できるため、非常に賑わいます。
伝統の継承と未来
小石原焼の伝統技法は現在も引き継がれており、50軒以上の窯元がその技を守り続けています。また、現代のニーズに合わせた新しいデザインや機能を取り入れることで、小石原焼は進化し続けています。2017年には、福島善三氏が小石原焼の重要無形文化財保持者に認定され、人間国宝としてその技術を後世に伝えています。
福島善三氏は、小石原焼の「ちがいわ窯」の16代目であり、小石原地区の陶土や釉薬を用い、伝統的な技法と現代的な感覚を融合させた作品を制作しています。彼の作品は、小石原焼独自の飛び鉋、刷毛目、流し掛けといった技法を使いながらも、鉄釉や赫釉といった他の技法も取り入れた、現代的でシャープなデザインが特徴です。福島氏の活動により、小石原焼の伝統は確実に次世代に引き継がれています。
小石原焼は、福岡県東峰村の美しい自然環境の中で作られる陶器であり、伝統と革新が融合した魅力的な焼き物です。今後もその伝統を守りながら、新しい挑戦を続けていくことで、多くの人々に愛される存在であり続けるでしょう。